とある街での随感随筆

ぱっとみ専業主婦の感情と思考と生活の記録

あまりにもアイデンティティの喪失感に囚われたので

今日ふとした瞬間に、自分のアイデンティティや全ての能力や、そもそもの存在意義自体に懐疑的になってしまったので、その負の感情に囚われてがんじがらめにされて溺れてしまう前に言葉にして吐き出してしまわないとメンタルやられると思ったのでブログを作った。

 

このブログを一言で言うと(自己虚栄心が邪魔して一言で収めれていないけれど)、仕事充実してると思い込ませながら片意地張って共働きしてきたけどなかなか子どもができなくて、仕事も辞めて不妊治療してやっと授かったかわいい息子が16ヶ月になって週3でデイケアに行きだしてやっとちょっと自分の時間が持てるようになって、在宅でダンナの仕事手伝ってるけど昔の仕事量と比べたら微々たるものなのでほぼ専業主婦という状況に罪悪感を感じつつ、人と接する機会が少なくなって自分のアイデンティティの喪失に苦しんでいる三十路女のブログだ。専業主婦のアイデンティティロスはどこにでもある、よく聞く話だ。だけど、本人にとっては至って深刻な事態だ。

 

基本はお気楽に幸せだなぁと思って過ごしているが、この激しい自己否定感に落ちたきっかけははっきりと分かっている。3日前の日曜日、ドライブ中、ダンナとの会話の最中に「だからぽんたとは普通の会話もできない」と言われたことだ。ダンナにはダンナの言い分と感情があって出てきたこの言葉。私には私の言い分と感情があって、この言葉はあんまりだと思う。そして、ほぼ専業主婦で子供が小さく日常生活する上で対話する相手がほぼダンナしかいない私にとって、これは自分の意見や(メンタルちょっといってるので飛躍してしまうのはしょうがない)存在は無価値だと思うにたる十分なインパクトをもって、私を殴りつけた。少なくとも勝手に涙が出てきて、今日一日をもう少しで棒にふるはめになったかもしれないくらい機能停止に追い込むほどには。

 

結局他人から価値ある人間として扱って欲しいんだな…

であるからして、今日改めて自分とは何者ぞ、と考えることにした。知ってはいたが、改めて見つめ直しても、自分はやっぱり空っぽだ。

人に誇れるような仕事もしておらず(ここ、重要。)、熱く深く語れる趣味も教養もなく、とてもつまらない人間のように感じる。

 

幸いなことに、私は若い時にイエス様に信仰告白した人間なので、「こんな私でも神さまは愛してくれている」と知っているし、信じている。それでも、この世で生きている限り(俗世を捨てて仙人にでもならない限り)他者との関わりを完全に断つことは不可能だ。そして未熟な私は他者からの承認欲求に囚われてしまう…

 

吐いたらスッキリした

ここまで、かなりネガティブなことばかり書いているが、書き始めてからすでに1日経った。

今の精神状態、すでにかなり良好‼︎

すごいな、感情の可視化。

これがマインドフルネスか、よくわかんないけど。

なかなかまとまった時間がとれないから細切れ時間で少しづつ書いてるのが私の場合上手く作用しているのかも。

でもここで終わったら、ただ単に自分の負の感情をウェブで世界に発信しているだけの(読んでくれる人がいなかったとしても) 公害ブログ以外のなにものでもないよね。

そして、自分が変わらなければ、専業主婦としてこれから生きていくとしても、自分できちんと納得して満足できる生活を送らない限り、他人の言動や行動でいちいち傷つくジェットコースターライフを送ることになってしまう

 

少しづつ、感情と思考を整理してここから抜け出そう。もがきあがくことは美しい。イソップ童話の『三匹の蛙』だって、一所懸命もがいた奴だけが生き残ったんだ。

私のこれからの全てのもがきとあがきにイエス様はともにいてくださる。なんて心強いんだろう。どうか私の側をいっときも離れないでいて下さい。